#kutoo Movement: Yumi’s Small Tweet Becomes a Movement to Help Women in Japan

All she said was, “I want to diminish this rule that women have to wear high-heel shoes or pumps at work.  When I was a student, I worked at one hotel for 1 month wearing pumps and it was not sustainable.  Why women have to suffer from foot and legs to be hurt when working while men can wear flat shoes, I wonder?”

Yumi Ishikawa tweeted the above in January in 2019, and her tweet was re-tweeted almost 65,000 times since then.  She started to collect petitions and I heard that 30,000+ were collected.  I assume she didn’t mean to start this giant feminism movement, but all she wanted to do is to remove this social pressure of “women are supposed to look like women,” starting with the form of shoes.

I have a privilege to work at the company in the U.S. where I can wear anything (almost) I want to.  I only have 2 pairs of high-heel shoes in my wardrobe and I wear sneakers and flats at work everyday , so I hadn’t thought (or forgotten, rather) about the culture of femininity of Japanese society.  Knee-high skirts and high-heels…the most uncomfortable attire to work, especially when you are on foot all day.  And mind you, they also have a long commute on the train and/or the bus, standing.  

I don’t oppose to people, man or women who want to wear high-heel shoes.  I am not stopping them at all, and neither is Yumi.  What I want for all of us, I mean ALL of us, is to have liberty of choice.  What to wear, how to act, what to eat, and how to speak.

I grew up in a household that my father would say something like, “You should act like a woman.”  I always wonder that the fuck that means.

「学校、2週間閉鎖になっちゃった...」

朝晩は冷えるけれど、日が長くなって、暗いうちに仕事へ行って、暗くなってから帰ってくる(これ、結構ディプレッシングです)ということがなくなってきたから、例年の3月なら、「春ぅ!つぼみ!植物!」という明るい雰囲気ですごしますが、さあ、今年は随分違っちゃったなあ。アメリカに越してきてから、ちょうど20年経ちましたが、9.11、2016年の大統領選挙と並んで、新型コロナウイルス感染症は大きな事例になってしまいました。

シアトル周辺のパブリック、プライベートスクールが2週間の閉鎖になりました。わたしのボスのチャンダ(3男児の母)が青い顔で、「これから2週間、どうしよう」とぽつりとつぶやきました。わたし達の会社はすでに1か月のリモートワークなので、ビデオを使って会議やら、チャットやらをしていますが、彼女くらいの役職になると、1日中会議、しかもビデオ会議なので、9時間ほど、コンピューターの前に座っているという状態もあるわけです。しかも、家の中で。プレティーンの3人の男の子達は、これから2週間退屈するだろう、お母さんが家にいればうれしいし(いつもいないんだから、尚更)、おなかもすくし、外に出ないようにするだろうから、家の中でばたばたするだろう、しかも喧嘩とかもありそうだし。。。考えるだけで、会社の上級役員とどうやって会議するんだろうと心配になってしまう。うちの会社は、かなりの理解があるけれど、それでも、やりにくいこと、この上ない。働くお母さんの現実。

パブリックスクールが、閉鎖になると聞いて思ったのは、貧困層の家庭、シングルピアレントの家庭はどうなっちゃうのか、ということ。パブリックのフリーミールプランに頼ってる人達は、たくさんいるだろう。サービス業についているお父さん、お母さんはリモートワークなんてできないんだから、その間、子供達はどうしてるんだろう。シッターさんを頼める余裕がある家庭は少ないんだろう。アメリカでは、一定の年齢に達していない子供は、一人で留守番ができないようになっているから 、そしたらその親御さんたちは、仕事を休むしかなくなって、お給料が入ってこなくなる。そうなったら、ごはんが食べられなくなる。。。そのあたりの保障、ワシントン州は、きちんと考えているんだろうか。どこもそうかもしれないけど、この国は貧困層は、さらに貧困にさらされるシステムになっている。そういうときに「だから、選挙が大事!」とよく聞くけど、選挙で、そういうシステムをひっくり返してくれる人が選ばれて、ちゃんとひっくり返るかどうかなんて、信じてないし、可能だと思えない、もう。遅すぎるよ。

チャンダのつぶやき、重いなあ。

ポートランドで思うこと

時間にしたら、ほんの30秒もかからないくらいの川を越えるだけで、空気が変わるのがよくわかる。コロンビアリバーを超えてワシントン州からオレゴン州へ。2日間のリセット旅の始まり。

ポートランドで思うこと

ここ1ヶ月、頭で考えていることに身体と心がついていかず、増えつづける仕事と大学の課題をこなすだけで、何もできないことに対して自分をせめた。家事も、飼い犬の世話もほとんどを夫任せにしたし、それについて何も(本当に一言も) 文句を言わない彼に対しても、感謝こそするものの、自分が何もしていない罪悪感から、かんしゃくを起こすような始末。膨らみすぎて、これ以上膨らませると、ぱん!と大きな音を立て、弾けてしまいそうなのを察知したのだろう、木曜の夜、寝るまえに言う。「あさってからポートランドね。一泊で。全部仕切りなおしに行こう」

ポートランドはシアトルに比べて、背が高くて(そして、ものすごく醜い)ビルが少ないので、空が広がっていて、雨がふっていても、曇天でも閉じ込められるような気配がない。だから、とても息がしやすい。そのせいか住んでいる人たち、働いている人たちに余裕があって、やさしい。車が左折しようとしていたから、渡らずに待っていたら、運転していた男性が、にこにこっとしてピースサインをくれたし、道を歩いていたら大きな声がしたので、思わずそちらの方を振り向くと、電話で話していたその人が、わざわざ自分の携帯を下げ、私に向かって「ごめんね」と言ってくれる。レコード屋さんのドアの前で入ろうかと逡巡していると、中から出てきた人がドアを押さえてくれ、「ここ、楽しいよ。いいレコードが見つかるといいね」と言ってくれる。シアトルの人たちは、私を含めて一般的に、自分から積極的に他人とかかわろうとしないから、例えば、ドアを押さえてくれる人はいても、一言お互いにかけ合う機会が少ないように思う。昔はシアトルの、その放っておいてくれる距離感がうれしかった。でもポートランドに来るたびに、「みんなが少しずつ、ポートランドの人みたいなれたら、世界はきっと少しづつ、やさしくなるなあ」と思う。しかも今回は心がいつもよりもつかれてたから、いつもよりずっと沁みた。パウエルブックストアを、夜10時までぐるぐる巡りながら、自分からそうしよう、と決めた。

そして、ポートランドのペイストリーとお料理(特にタイ料理、アジア全般)の質の高いこと!おすすめです。

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